プロフィール
◇あやみの自己紹介◇
1980年9月生まれの乙女座O型 静岡県の海沿いで、夫と夫の母と3人で暮らしています。
現在、作業療法士(OT)として働き22年目になります。
OTを目指したきっかけは15才で小児がんを発症したことが元です。
詳細な自己紹介は下記を読んでくださいね。
長文なのでお時間のある時にどうぞ。
▪️はじめまして
あやみと申します。
静岡県の田舎町に生まれ、両親と祖父母、弟妹の7人家族で育ちました。
家のすぐ前に川、真後ろに山、最寄りのバス停まで1kmの超ど田舎で5才まで過ごし、
外遊びが大好きなやんちゃ娘でした。
2つ上の隣りのお兄ちゃんについて、毎日川に山に遊び回ってました。
山の斜面にある祖父のお茶畑にモノレールに乗って行くのが大好き。
そんな幼少期を過ごしたため色黒の、男の子顔負けの"活発自然児"になります。
祖父母同居の大家族、周囲もほぼ同じ家族構成で、
私の『おじいちゃん・おばあちゃん好き』はこの経験から育ったようです。

▪️小学校
に上がるのをきっかけに親が家を買い、同町内の
子どもがたくさんいる地域に引っ越しました。
叔母が公文式の先生だったので3才から教材に触れており、
小学校6年間は勉強にいいも悪いも特別な感情を持たない子でした。
スイミングやエレクトーン教室にも通わせてもらっていましたが、
楽しく弾いていたある時、先生に「あなたはこれを弾きましょうね」と決められたことがイヤで…
私は好きな曲を選びたかったのに・・・が残り、まもなく辞めました。
これが私の、[ 先生との『はまる/はまらない』感覚 ]の最初の出来事です。
▪️中学校
では、剣道部に入部します。
部員が少ない(2年生5人、3年生2人)ことも私には大きな判断材料だったかな。
1年生は5人が入部し、女子の総勢10名!上下関係もほぼなく楽しく。。
ある日、中1の担任が突然怒ってクラスから出ていき職員室に閉じこもる という
"逆ボイコット" が起こりました。
この担任が何とも理不尽な人でして、それまでにも何度もおかしな行動がありました。
ガニ股女子生徒の姿勢を修正する!と突然言い出しクラス全員の前で歩かせたり、
発達障がいの男子生徒を黒板前に呼んで計算させたり…
その日も、もう理由は覚えてませんが
クラス会の途中で、担任が突然職員室にこもるという、12・3才の私たちには未曾有の事態!
当時学級委員だった私は何とかしなきゃ!と職員室に行き、
とにかくひたすら謝ったことを覚えています。
人に対しての判断基準に[信用できるか否か]を一番に挙げるようになったのは
コレきっかけだ!と確信しています。
そして中3の夏休みには
自転車で30分かけて隣市の夏期講習に通い、
2学期に入ってすぐ
私は大量出血して入院することになったのです。
通学途中
自転車で坂道を上がるのに立ち漕ぎできない、
体育祭の長縄跳びの練習でジャンプできない…
あれ?と思った翌日に大量出血して
保健室に自分で向かったところまでは覚えてますが、
次に目を覚ました時は市立病院のベッドにいました。
救急車で子ども病院に搬送され、
そこから8ヶ月の、長くて短い
人生のターニングポイントになった『小児がん治療入院生活』が始まりました。
▪️9月〜5月 壮絶期 生まれ変わった!
当時の生存率は数%の[白血病]との診断。
覚えているのは、同じ病気の2才と9才の女の子がいて、
たしか10才くらいの男の子もいた。
病棟には他の血液疾患の子もいて、
みんな坊主頭でスカーフ+ムーンフェイス。
15才の私は1番お姉ちゃん、
普段の病棟ではほぼ素を出さず・・・家族面会の数分でわがままを言ってたようです。
化学療法、放射線療法は私には効果がなく
奇跡的に母親と型が合って、年末に骨髄移植を受けました。
以降ぐんぐん数値が上がっていき、5月頭に退院することが決定‼︎

▪️高校4年間
ひたすら生きるために生活した4年間でした。
授業なんて全く頭に入ってこない。
学校生活もほとんど覚えてないし、思い出せない。
数Ⅰaで6点取ったのは覚えてますが。
そして4年生の夏、
進路相談で初めて将来の自分と向き合い
ここから火がつきました。
【 私もリハビリの先生になって皆んなを応援したい!】
入院中・退院後の数ヶ月は子ども病院でリハビリを受けていて、
信頼できるセラピストに出会えたことが私の心を動かしてました。
▪️専門学校4年間〜今
他県の学校のため一人暮らし
初めての体験に、学ぶ内容も初めて聞くことばかり。
楽しい、仲間と切磋琢磨できるのが嬉しい!
4年後に無事OT免許を取り、今はOTとして働き22年になります。
途中21、28、35才と3回の小脳出血、でも生きてきた。
30才で結婚、ずーっと支えてくれる人に出会う。
42才、4度目の小脳出血、
少し大きめだから…と初の開頭オペ
一年後に別診断で開頭オペ
でも・・・生きてるじゃん! 生かされてる。
私は、一人じゃなくて仲間と一緒に、が好き
私は、次にやりたいこと・目標があった方が頑張れる人
コレがないとダメな人なんだ!
って、
周りまわって理解できました。
▪️情報発信との出会い
1回目の開頭オペ入院中、
それまでのように働けない身体になる=収入がなくなることを考え、
何故かFBで見たサイトに登録、〇〇マンをなくす詐欺に遭いました。
その直後に今の師匠たちの発信に出会い、強い信用力を感じ登録してました。
SNSで騙された直後なのに??
この出会いが、私を180度変えてくれました。
翌年チーム内の情報発信コミュニティに入り、
自分の病歴を曝け出せるまでになっていたんです!
それまでは隠そうというか…
頭では分かっている障がいに対しても同情されたくない、
私の中に"自分は半人前"と認めたくないマインドが居て、
口にするなんてもっての外でした。
家族と、仲のいい数人だけが知っていたコト。
その私が、今ではこうやってSNSで自分を発信している!
まだまだ開発途中で亀の歩みですが、
師匠や先行く仲間を目標に、自分の城を築く未来に向けて進んでいきます!
▪️やりたいこと
そして44才で障がい者手帳を持ちました。
ありのままの自分を認めることの大事さ、ラクさを伝えたい。
どんな身体でも、年齢でも、できる・変われることを伝えたい。
動けなくなってからでは遅い。
気づいた今から自分の心と身体を軽くして生きてほしい、と強く思います。
私の発信で心身の調子が良くなる方を増やすために
これからも書き続けていきます。
どうぞよろしくお願いします!
